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想像力の無さが一番の罪なのかも知れない

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先日、ついに国内初のポケモンGOでの死亡事故が起きてしまった。


日本より先行してリリースされていた海外では、ポケモンGOプレイ中の歩きスマホによる崖からの転落事故などや、歩行中や自転車での転倒事故が報道がされてきたが、これはあくまでも自分自身が痛い目に遭ったという自業自得なケース。

 

歩きスマホをしようが、危険な場所に入ろうが、痛い思いをするのが自分自身であるのだから「仕方がなかったね…」で片付く。

 

しかし今回国内で起きた死亡事故は、ポケモンGOをプレイしながら自動車を運転しており、前方不注意によって歩行者二人をはね飛ばしたという赤の他人を巻き込んだ事故だ。被害者側はたまったもんじゃない。

 

なんの罪もない人が、頭の悪いたった一人のポケモントレーナーの愚行により、一瞬にして人生の幕を下ろされてしまったのだ。被害者の方もそうだが、被害者の家族も含め誰も浮かばれない。

 


今回の事故のニュースを見たとき、一瞬『飲酒運転事故』と同じような感覚を持った。飲酒運転も無責任なドライバーによって何の罪もない人の命を奪う事例が多いからだ。

 

しかしよくよく考えてみると、「ポケGO運転は飲酒運転よりも罪深いのではない?」かと思えてきた。なぜなら飲酒運転は、場合によって正常な判断ができないほど泥酔し、無意識のうちに『運転してしまう』可能性があるからだ。

 

泥酔して所々の記憶が曖昧になったという経験はないだろうか?飲酒運転で事故を起こした者が「よく覚えていない」という言葉を口にするのもこの一種だろう。当然のことながら意識がしっかりしてようが朦朧としてようが、飲酒運転が絶対的な悪であることに変わりないが、無意識が関与する可能性があることは事実だろう。

 

しかし『ポケGO運転』の場合は、完全に「ポケモンGOで遊びたい」という欲求が前面に出ており、「安全に運転しなければならない」というドライバーが必ず持たなければならない意識を完全に置き去りにしている行為だ。

 

逆に言えば「意識的に安全を無視している」と言っても過言ではない。

 

 

こういった事件や事故が起こったときにいつも思うのが、「こいつ等は自分の行動によって、どういった影響や被害が起きるか想像しないのだろうか?」ということだ。

 

人を殺してしまうことの影響は計り知れない。

 

私の知り合いに、自動車の運転中に小学生をはねて死亡させてしまった男性がいる。彼の場合は偶然が重なったことによる不慮の事故だったのだが、小学生の子供を亡くした親からすれば「子供を殺された」という思いしか残らない。

 

彼はそれから毎年、亡くなった子供さんの命日に相手の家へお参りに行っていた。賠償金とは別の慰謝料を持って。(自分の想いで持参していたらしい)

お参りは約20年続いたらしいが、ある年に小学生の親御さんからこう言われたそうだ。

 

「もう、いいです。」と。

 

しかし、この「もう、いいです」は「許します」の意味ではなかったという。

20年にも渡ってお参りをしてもらっても、当然のことながら子供は帰ってこない。それは慰謝料をもらったとしても同じこと。結局20年という長い月日が経過しても、親御さんの子供を亡くした悲しみは変わることがなったのだ。だから「何度お参りに来てもらっても意味がないので、もう、いいです。」ということだったらしい。

 

人の命を奪ってしまった罪を、本当の意味で償うのは非常に難しいことなのだろう。

 

 

こうした影響は、被害者や被害者家族だけにとどまらない。加害者側の家族にも多大な影響が生じる。

 

今回の場合、加害者男性は39歳の農業従事者。もし奥さんや子供がいたとしたらどうだろう。隣近所、またはパート先や学校で、自分の旦那・父親が人殺しであることを噂される。子供ならイジメに発展してもおかしくない。

周りの目が気になり、次第に外へ出られなくなっていく。そうすると収入も滞り、次第に生活はジリ貧になっていくだろう。

 

また刑事責任としては、『過失運転致死傷罪:7年以下の懲役もしくは禁錮』『危険運転致死罪:1年以上20年以下の懲役』というような罪に問われる可能性がある。そうなった場合、残された家族は数年ものあいだ一家の大黒柱(収入源)を失った状態で生活をしなければいけなくなる。

 

自分の旦那・父親が人殺しになってしまうという気持ちは考えただけでも辛い。

 

 

こうして少し考えただけでも、事故によって亡くした命の大きさや、被害者そして被害者家族に与える影響は恐ろしく甚大だ。これを「ポケモンGOがしたかったから」という理由で片づけられてしまっては、全くもって納得ができない。

 

別にポケモンGOを問題視しているわけではない。

 

多くの人が「ただスマホでよそ見して起こした事故だろ」という。確かにそうだ。見ていた画面がポケモンGOなだけであって、今回の事故は簡単に言えば、よそ見運転が招いた事故である。

 

しかし問題は、なぜよそ見運転の先に起こる悲劇を想像できないのかということだ。

 

死亡事故を起こしたあと一生続く悲劇の重さと、一瞬スマホを見たいと思わせる欲求をを天秤にかけたとき、普通に考えれば間違いなく前者を重要視するはずだ。そうすれば絶対によそ見運転などしないはすである。

 

まずは想像するべきだろ。

 

自分が取った行動で、誰かが悲しい思いをしないかどうかを。