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キングコング西野の芸人引退宣言から見る『肩書き不要時代』の到来

 

コニラボへようこそ!所長です。(@CONi LABO

 

何気なくスマホでニュース記事を漁っているとこんな記事が…

 

lineblog.me

 

お笑い芸人であるキングコング西野亮廣氏がお笑い芸人を引退するというという見出しに、取り立てファンでもありませんが目を奪われてしまった私は、ついついその記事を読んでしまいました。

 

その記事(ブログ)を要約すると…

  •  とある番組企画で西野氏に意見を述べたい素人をTwitterで募集
  • 1人の女性と、1人の男性が登場
  • その男女から「芸人なのに絵本を描くのはおかしい」と苦言
  • 西野氏は「明石家さんまはドラマ」「ビートたけしは映画」「ピース又吉は小説」と芸人以外の活動もしていると反論
  • その男女には一向に理解してもらえない
  • 西野氏は「絵本作家になります。芸人辞めます。」と宣言
  • しかし「今後は絵本作家として漫才したりテレビ出演したりする」とのこと
  • その男女は納得

 

まぁ話の内容や結論はどうでもいいのですがwww

私が感じたのは『肩書き』に固執している感覚というか価値観というか、そういう人はこれからの時代を生きていくのに非常に危険だということです。

(今回の場合、参加者本人の意見なのか、番組側が作り上げた演出上の意見なのかは問題視しません。)

 

 

 

なぜ肩書きを欲しがるのか?

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人はとかくカテゴライズするのが好きです。

音楽でも料理でも書籍でもなんでも、今やどの分野においてもカテゴリーってものが存在しない場所なんてないんじゃないでしょうか?

 

仕事だってそうです。

業界や職種などは当たり前のようにカテゴライズしますし、あなたがサラリーマンであれば仕事の内容で部署を分けられたり役職を付けられたりと、かなり詳細にカテゴライズされている環境にいると思います。

 

では、なぜ人はカテゴライズするのでしょうか?

 

勿論いろんな答えがあると思うのですが、ひとつに「安心感」というものがあげられると私は思っています。

 

例えば『人間』というものをカテゴライズしたとき、最小のカテゴリとしては『個人』ということになるでしょう。

でも人間は寂しがり屋で不安を感じる生き物ですから、「誰かと一緒にいたい」っていう感情が生まれます。それによってできるカテゴリの代表格が『家族』だったりしますよね。

 

要はカテゴライズというのは、自分が所属する場所や、いま自分が置かれている立場を認識することで、所属意識から生まれる安心感を得るための行為だと思うんです。

 

肩書きも同じで、結局は自分が何者なのかを自分自身で知っておく、または相手に容易に知らせることができる安心感から求めてしまうのではないでしょうか。

 

 

 

仕事上の肩書きは足枷にしかならない

肩書きを持つことによって、責任感を持って仕事に取り組めるなどのメリットもあるでしょう。しかしその肩書きが足枷になっていることがあります。

 

例えば、あなたが商売で草履屋を営んでいたとします。(草履なんて今どき履かないよってツッコミは置いといて…)

で、「俺は草履屋なんだ!!」という肩書きと立派な信念を持って仕事をしていても、時代と共に草履はだんだん売れなくなっていきますよね。

 

でもちょっとだけ意識を変えて「俺は履き物屋なんだ!!」って思えば、草履だけでなくスニーカーや革靴、靴下なんかも売ろうという知恵が出てくるはずなんです。

 

こうして時代と共に考え方を変え、肩書きだってコロコロ変えていけばいいわけであり、逆にこれができないお店は時代の変化に対応できず潰れてしまいます。

 

 

 

『資格』という肩書きの危険

自分で商売をしていない人(サラリーマンなど)でも同様のことがよくあります。

それの最たる例が資格です。

 

サラリーマンとして就職をする際に有利だと思い、資格を保有する人は多いと思いますが、資格もある種の肩書きであって、それで自分を苦しめている人もいます。

 

例えば英語の資格試験として有名なTOEIC

TOEICで満点を持っていて「英語を活かした仕事がしたい」と思い、通訳や翻訳家など高度な英語スキルを要する仕事を求める人がいます。

 

しかし昨今、英語を習得している人の割合は増加傾向にありますし、『TOEIC満点者でなきゃできない仕事』などほとんどありません。

 

英語という枠を取っ払ってしまえば職業選択の幅はたくさんあるにも関わらず、『TOEIC満点』という肩書き(プライド?)を意識したせいで激戦の就職活動を強いられている人は少なくありません。

 

 

 

肩書きでは戦えない時代

物が少なかった時代、多様性があまりなかった時代は、誰もがある程度決まった仕事(作業)をしていれば問題がありませんでした。

とりあえず物やサービスを作り出せば、ある程度の需要が見込めたからです。

 

そんな時代においては『私は〇〇屋です』と謳い、専門色の濃さを打ち出した方が品質や内容の良さをアピールできて有効でした。

 

しかし物余りの現代日本。

どの分野においても多様化が進み、商品やサービスの内容はかなり細分化されていき、「昨日売れていたものが今日売れなくなる」なんてことは当たり前になってきました。

 

そんな時代に必要なのが『私は何でも屋です』という逆転の発想ではないでしょうか。

 

肩書きを意識するあまりひとつの仕事に固執してしまっていては、その仕事が立ち行かなくなった場合に一瞬にして路頭に迷ってしまう恐れがあります。

しかし複数の仕事をできるようにしておけば、ひとつの仕事で躓いたところで第二・第三の仕事で挽回することができます。

 

サラリーマンであれば副業をするのも良いでしょう。

経営者であれば、先ほどの履き物屋のように商品やサービスのラインナップを増やしてもいいでしょうし、複数の業態を営んでも良いでしょう。

 

これからは各個人が『ひとつの肩書き』ではなく『複数の顔』を持つようになります。

というか複数の顔を持たなければ、生きていくのが厳しい時代になると思います。

 

今の本業は本業として大事にしつつも、また別の新しい価値を提供できる自分を見つけることが、これからの時代をサバイバルするために最も重要な資質のひとつになるのではないでしょうか。